古民家再生〜小豆沢より(1)

出会い 2002年1月~6月

「飛騨の国」の民家再生計画が一区切りついてから、JMRA(日本民家再生リサイクル協会)の活動を通じていろいろな民家に出会ってきた。

再生され新たな息吹を吹き込まれた民家、そのままの形を維持しながら大切に使われている民家、取り壊しを待つ民家。 そこで生活をする人たちの様々な思いを包み込み、じっと地面に建っている。

そんな民家の一つに関わる 機会が巡ってきたA邸との出会いである。

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ここ板橋には、築40年から70年ほどの民家がまだかなり残っている。
このA邸もその一つで築43年。70年を越える古民家のイメージこそないが、初めて訪れたときには何か懐かしいような、心の安らぐ住宅であった。

子供一家が同居をするので、二世帯住宅に建て替えて欲しいという依頼であったが、現住宅に対する家主の思い入れも話の中で感じる事ができた。

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8帖の続き間を見せていただくと、凛とした空気が感じられる。この家を建てた大工の技術力がなせる技だ。施工精度の甘い家では、この凛とした空気を感じることはない。

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「俺の作ったものを壊すなよ」と言う声が聞こえてきそうである。

「最低でも 和室と玄関は、再生保存しよう」自分の気持ちはすでに決まっていた。

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次に、お客様にも同じ気持ちになっていただくように時間をかけて話し合った。
幸いにも「壊してしまうのもどうなのか?」という気持ちがお客様にもあり、和室と玄関を残し、水回りを現代的に快適に、一部を二階建てにし2世帯住宅とする基本方針が決まった。銘木屋に和室材の鑑定をお願いした。みずめ桜の彫刻床柱、黒檀2面柾の無垢材床框、45cm幅の杉天井板、栃の床板、材料的にも今では手に入りにくいものばかりであることが解り、保存に弾みがつく。

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銘木屋の話では、昭和35年以前の住宅を壊すときには材料をよく見て欲しいと言う。ここでは救われた「今では手に入りにくい材料」が無惨にも「産業廃棄物」となっている現状を嘆いていた。

私もJMRAで様々な体験をしていなかったら、再生保存と言うことを考えただろうか。群馬県の林業家たちとのつきあいがなかったら、こんなに木に愛着がもてただろうかと自問をする。まだまだ勉強が必要だ。

左の写真は表玄関の上がり框と式台で、ケヤキの板目のきれいな材であった。聞くと、大工が立て替えの為に壊した家の大黒柱を削って作ったものだそうだ。

再生保存は今に始まった考えではなく、昔の大工は当たり前のようにやっている。
さあ、私も気負わずに仕事を始めよう。

古民家再生〜小豆沢より(2)
施工事例 A様邸