民家再生物語〜飛騨の国から(6)

そこで暮らす覚悟はあるか

(友人との往復書簡より)
by 大竹

12月になると「雪虫」がフワフワと飛ぶ姿が見られるようになった。「雪虫」の学術的な名は知らないが、小さく綿をちぎったよう形で、この虫が飛ぶと飛騨の人たちは雪が降る日が近いと察するのだ。本格的な雪のシーズンは年が明けてお正月頃からとなった。

元スキーヤーの私は(確か久保氏も…)、大学時代はスキーシーズンを楽しみにしていたが雪国に暮らすようになってからは違う。すべてのモノを覆い隠す雪景色は美しいが、共に暮らすのは大変である。今年の雪の降り方は、以外と多かった。

「雪マタジ」、これは飛騨の方言である。「マタジ」とは片づけるという意味。つまり「雪かき」の事。朝、出勤の為に車に積もった雪と家の前の雪マタジをするのだが、それでもなかなか車が出せない。雪が凍って滑るのだ。誰かに押してもらえれば動くのだが、あいにく一人しかいない場合は本当に大変だ。

四苦八苦している時に思う事は、「絶対暖かい所で暮らしたい。」という事。道路を走っていても怖い。怖いからと言って他に交通の手段がないから、車に乗る。私だけが滑っているのかと思え(中古のタイヤを買った為に)、結構皆滑っている。スタットレスタイヤはアイスバーンの路面には弱いのだ。

私はコヤナの民家での暮らしを考えた。この雪国で、まして高山市内に出るまでに峠(宮峠と言い、交通事故の多い所だ。)を越えなければならない場所で、本当に暮らせるだろうか?

知り合いの農家にお年始の挨拶に伺った時、「本当にコヤナに住むつもりなのか。」と聞かれた。彼が心配する事は、子ども達の事だった。

コヤナに引っ越せば、子ども達は村の学校に行くことになる。子ども達が適応できるか、その事を心配して下さったのだ。
私は「大丈夫です」と即答は出来なかった。よそ者が村で暮らす大変さはよく聞く話しなのだ。

溶け込で暮らすには、私たちには覚悟が必要な事も多いだろうと推測は出来るが、もともと都会に近い場所で育った私には、地域での付き合い感覚がない。

もしも、コヤナの民家を再生して暮らし始めたとして、地域の住民と人間関係が上手くいかなかったり、子ども達が学校に合わず悩んでしまい、生活そのものが上手くいかない場合だってあるかもしれない。

そして私の「民家再生計画」は、物理的問題よりも精神的、家族や地域での人間関係など、メンタルな問題を越える事が出来ずに終わる事となってしまった。

私には「すべて大丈夫。」と言える強い意志が築けず、家族全員で「民家再生」の暮らしへの思いが熟す事が出来なかったからのだ。

民家再生物語〜飛騨の国から(1)
民家再生物語〜飛騨の国から(2)
民家再生物語〜飛騨の国から(3)
民家再生物語〜飛騨の国から(4)
民家再生物語〜飛騨の国から(5)
民家再生物語〜飛騨の国から(7)
古民家再生施工事例 A様邸