民家再生物語〜飛騨の国から(2)

民家再生への楽しみと不安

(友人との往復書簡より)
by 大竹

私は、早速二人の友人にメールを送った、「私、民家を見つけた!」と。
二人とも、 高校は違うが美術予備校で出逢い、同じ夢を持った友人だ。高校時代の思いはピュアで、今思えばスゴク気持ちが良かった。私は大学でその夢からはドロップアウトし、あっちこっちと進んだが、二人ともそのまま建築の仕事につく人となった。

もちろん、その一人が綜合建設の久保社長だ。 彼から、「面白い案件なので大切にしてみようよ。時間を作って見に行くから。」と返事があった。11月の下旬、久保氏が飛弾高山にやって来た。 時を同じに私の両親も、実家の引っ越しの疲れをとる為に来ていた。(この辺りには、沢山の温泉地がある。露天風呂は気持ちイイ。)

来高のレポートは、研究ノートの久保氏のレポートに詳しく載っているので、素人の私のコメントより良いだろう。民家を見に行った夜、私は子供達を父と母に頼み、夜の高山の町に久保氏と飲みに出掛けた。私たちが向かったのは、宮川沿いのちょっとレトロな居酒屋。

Kura1
居酒屋入口

カクテルと漬け物ステーキ(なぜ、こんな名前がついたか不思議なのだが、ここ高山ではポピュラーな食べ物だ。)をつまみながら、民家再生の話が弾んだ。私たちが話し込んだのは、民家を再生する事より、その地域社会に暮らす事が大変だという皆の話しだった。

流動の激しい都会やその周辺では、家を持つ時に、そこの地域社会とのつき合いなどを考えるだろうか、気にするだろうか。ある意味で、この点が都会と田舎暮らしの大きな違いなのだと言えるのかもしれない。

そしてまた私は、柱や梁の存在がはっきりと分かる民家に触れ、「家族とは何だろう。」との、感覚から考えさせられた気がした。
柱の役目は、家族を支える父であり母。そして梁は、家族をカタチづくってくれる子供達のように私には見えた。

私の家族は大丈夫だろうか。こんな力強いバランスがあるだろうか。一軒の家を持つとは、ましては民家を再生するとは、何と大変な事なのか!!

久保氏と話しながら、民家を再生するという楽しみと、そして、そこで暮らすという事ができるのかと、私自身に、家族に問いかけ始めていた。

私たちは、2〜3杯その店で飲み、次の店に向かった。

民家再生物語〜飛騨の国から(1)
民家再生物語〜飛騨の国から(3)
民家再生物語〜飛騨の国から(4)
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民家再生物語〜飛騨の国から(6)
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古民家再生施工事例 A様邸